FXに国際金融の知識が必要
金融自由化の時代には国際金融の知識は不可欠
10年ほど前、日本では旧大蔵省が金融機関を手厚く保護する政策をとっていました。これは銀行を1行たりとも倒産させないという方針のもと、最も体力の弱い銀行に合わせて金融行政の舵を取ることから護送船団方式と呼ばれていました。しかし、1997年秋に金融界を揺るがせた山一證券や北海道拓殖銀行の倒産以降、金融行政の失敗に対する批判が高まり、国は銀行を保護する政策からの転換を余儀なくされました。これを金融ビッグバンといいます。
金融業界は名実ともに自由競争時代に入り、さまざまな変化をもたらしました。例えば、外資系金融機関に東京市場参入への門戸が開かれると、各国や各地域を代表するメガバンクの多くが日本に進
出し、やがて外資系金融機関が日本の金融機関を買収することも許されるようになったのです。また、持ち株会社という同じ傘のもとで銀行業務と証券業務の兼業が許されている海外にならって、日本国内でも銀行と証券の業務の垣根が取り払われました。預金者に対してもペイオフが解禁となり、1つの金融機関に預けられた預金は1,000万円までしか保護されなくなったのです。
一方、ゼロ金利政策によって、国内の預金金利はほぼゼロになりました。そこで、個人投資家は外資系金融機関の外貨預金や外貨建てMMF、外資系投資信託会社に目を向け始め、国際金融の知識は欠かせないものになっていったのです。特に、FXは内外の金利差を利用するだけでなく、各国の国際収支や景気判断、金融情勢などを織り込む為替レートの水準を考慮しながら投資するため、国際金融の知識なしでは始められない金融商品といえるでしょう。
10年ほど前、日本では旧大蔵省が金融機関を手厚く保護する政策をとっていました。これは銀行を1行たりとも倒産させないという方針のもと、最も体力の弱い銀行に合わせて金融行政の舵を取ることから護送船団方式と呼ばれていました。しかし、1997年秋に金融界を揺るがせた山一證券や北海道拓殖銀行の倒産以降、金融行政の失敗に対する批判が高まり、国は銀行を保護する政策からの転換を余儀なくされました。これを金融ビッグバンといいます。
金融業界は名実ともに自由競争時代に入り、さまざまな変化をもたらしました。例えば、外資系金融機関に東京市場参入への門戸が開かれると、各国や各地域を代表するメガバンクの多くが日本に進
出し、やがて外資系金融機関が日本の金融機関を買収することも許されるようになったのです。また、持ち株会社という同じ傘のもとで銀行業務と証券業務の兼業が許されている海外にならって、日本国内でも銀行と証券の業務の垣根が取り払われました。預金者に対してもペイオフが解禁となり、1つの金融機関に預けられた預金は1,000万円までしか保護されなくなったのです。
一方、ゼロ金利政策によって、国内の預金金利はほぼゼロになりました。そこで、個人投資家は外資系金融機関の外貨預金や外貨建てMMF、外資系投資信託会社に目を向け始め、国際金融の知識は欠かせないものになっていったのです。特に、FXは内外の金利差を利用するだけでなく、各国の国際収支や景気判断、金融情勢などを織り込む為替レートの水準を考慮しながら投資するため、国際金融の知識なしでは始められない金融商品といえるでしょう。