FXで円キャリー取引が流行った理由
金融政策が変更されずに続いた
一時なぜ円キャリー取引は、これほどまで注目されるようになったのでしょうか。その最大の原因は、日本国内の金利環境にあります。10年ほど前に遡って詳しく探っていきましょう。
1990年代後半、日本の金融機関は不良債権の処理に奮闘していました。銀行が国際業務を行うために維持しなければならない自己資本比率8%を下回るような事態にまで追い込まれたのです。海外の格付会社が日本の金融機関の評価を下げたため、米ドルなど外貨の調達も困難になりました。懸念される金融不安に対して、日銀はゼロ金利と量的緩和政策を打ち出して、デフレ対策と資金の流動性の確保に努めたのです。その後、公的資金の注入や合併を経て金融機関の経営体力は改善していきました。しかし、デフレ傾向からの脱却には至らず、ゼロ金利と量的緩和政策は、2006年まで続くことになったのです。
豊富な円が海外に流出
金融緩和策が解除されても、豊富な円資金は市中にあふれていました。これに狙いをつけたのが、外資系金融機関です。クレジットラインと呼ばれるいつでも容易に借り入れできる信用枠を使い、豊富で低金利の円資金を短期の金融市場で調達すると、ニューヨークやロンドンの本店に引き渡して、これを元手に収益の拡大を図っていったのです。
やがて、これまで投資には消極的と見られてきた個人投資家も、円での運用を見限って、為替リスクをとりながら金利の高い外貨の運用を始めるようになったのです。
一時なぜ円キャリー取引は、これほどまで注目されるようになったのでしょうか。その最大の原因は、日本国内の金利環境にあります。10年ほど前に遡って詳しく探っていきましょう。
1990年代後半、日本の金融機関は不良債権の処理に奮闘していました。銀行が国際業務を行うために維持しなければならない自己資本比率8%を下回るような事態にまで追い込まれたのです。海外の格付会社が日本の金融機関の評価を下げたため、米ドルなど外貨の調達も困難になりました。懸念される金融不安に対して、日銀はゼロ金利と量的緩和政策を打ち出して、デフレ対策と資金の流動性の確保に努めたのです。その後、公的資金の注入や合併を経て金融機関の経営体力は改善していきました。しかし、デフレ傾向からの脱却には至らず、ゼロ金利と量的緩和政策は、2006年まで続くことになったのです。
豊富な円が海外に流出
金融緩和策が解除されても、豊富な円資金は市中にあふれていました。これに狙いをつけたのが、外資系金融機関です。クレジットラインと呼ばれるいつでも容易に借り入れできる信用枠を使い、豊富で低金利の円資金を短期の金融市場で調達すると、ニューヨークやロンドンの本店に引き渡して、これを元手に収益の拡大を図っていったのです。
やがて、これまで投資には消極的と見られてきた個人投資家も、円での運用を見限って、為替リスクをとりながら金利の高い外貨の運用を始めるようになったのです。